狂気の男!!吉田松陰から学ぶ生き方
こんにちは!
武士になってみたい、と思ったことはない?
自分の力で自分の道を切り開くってすごく憧れる。
もしなれたら、宮本武蔵みたいに天下統一の旅に出て・・・なんて思う。
でもリアルに考えるとその考えは、「やっぱ無理だ!」と思う。
だって切腹とかあるし、死ぬかもしれないからね。
切腹なんて考えただけでも恐ろしや。あれね、刀をお腹に刺してその状態で一の字をかくの。考えただけでも怖っ!!!
僕は今の時代に生まれて幸せです。ご先祖様。本当にありがとう(笑)
という事で、今回はそんな壮絶な時代に生まれ、30歳という若さで亡くなった吉田松陰先生の一生と名言を書いていきます。
最近では「花燃ゆ」で伊瀬谷祐介さんが演じられたので、知ってる人も多いのでは?
吉田松陰の一生
1830年に生まれる。日本の武士、思想家であり教育者。「松下村塾」で、明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。
こう言うと普通の人に聞こえますよね?
実はこの人「狂気の人」なんです!
ペリーが黒船を率いてやってきた時。
黒船が威嚇射撃で使った大砲。刀では勝てるはずもないと、武士から農民までもがそう確信し、いつ攻め込まれるか分からないという恐怖の夜を過ごしていた時。
西洋を追い抜こうと意気込む若者がいた。
吉田松陰、25歳だ。
「追い抜くためには西洋を学ぶしかない」と考えた彼は、船を奪い黒船に乗り込む。
海外渡航しようとすればこの時代では死刑だ。それを承知で乗り込んだ。
案の定捕まります。
密航で捕まった後、牢獄に収容される。
そんな中でも松陰は猛烈な読書を行い、1年2ヶ月の間に 618冊を読破。
この姿に、他の囚人達は驚いた。
その清い姿を見て、驚きから、尊敬に変わっていく。
そして松蔭の 『「勉強しないか?」 という呼びかけから、勉強会が始まります。しまいには牢獄の番人でさえ、この勉強会に参加し松陰に弟子入りするようになります。
牢獄が学びの場となり、荒れていた囚人達は松陰を慕い、ことごとく改心したそうです。このとき25歳。囚人の中で最年少。
仮釈放されると、小さな村で2年半の間、塾を開きます。ここでは貧しく、下級の低い武士が集められました。教え方も変わっています。教えるってどんなイメージですか?
僕は教えるという行為は、上下関係から成り立つものという印象を受けます。しかし松陰先生は対等です。「私は教えることはできません。共に学びましょう」弟子にかけた言葉です。
これがのちに伝説となる「松下村塾」です。
何で伝説か?
ここから輩出した面々がすごいんです。
総理大臣2名、国務大臣7名、大学の創設者2名というとんでもないエリート塾。
松陰は教育者で終わらない。幕府の大老・井伊直弼と老中・間部詮勝のやり方に憤慨した松陰は、長州藩に「間部を暗殺したいので、暗殺に使う武器を提供してほしい」と頼み込む。驚いた長州藩は、また松陰を牢獄に入れる。
極めつけは、ある疑いで役人に取り調べを受けた時です。松陰は聞かれてもいない「間部詮勝の暗殺計画」を自分から暴露する。これを言えば完全に死刑という事は分かっていた。
当時、役人に意見できる機会は滅多になかった。だから暗殺計画を告白する事で、自分の考えを伝えるチャンスを得よう、としたと言われている。
だが僕はそれだけじゃないと思う。
自分の死をきっかけに弟子達に火を付けようとしたのでは?と思う。自分の命を引火剤にしたのである。僕がこう考えるのは松陰がこのような言葉を残しているからだ。
「自分が実現させたいこと」について、何度も考えて、考えて、考え尽くすと。 人と話すときは、その会話の端っこでもいいから「自分が実現させたいこと」について語ること。 平和や安定を愛しながらも、いつまでも続く平和や安定はない、という事実を、常々自分に言い聞かせること。 誰かが問題や事件に巻き込まれたとき、無関心でいたら、口を出すだけで済ませたりすることなく、その解決のために、積極的に動くこと。 そうすれば、仮に「自分の実現させたいこと」が、断念せざるを得ない状態になったとしても、誰かがその夢を受け継いでくれることでしょう。
松陰先生は弟子達が行動することを恐れていることを危惧していた。
それをどうにかして変えたかった。
じゃあどうするか?
俺の命で弟子達を変えてやる!
弟子達には俺が実現させたい事はもう伝えた。俺がここで死んでもきっと受け継いでくれる。という考えがあったと思う。
そして暗殺計画を暴露した結果、松陰は捕まり30歳という若さでこの世を去った。
もし暗殺計画を暴露しなかったら、もし捕まらなかったら、
松下村塾の生徒たちがここまでの成功収められなかったかもしれない。
英雄達を感化させた言葉
この肉体は自分。且つ一時的なものであり、この心は宇宙。且つ永遠のものである。というのが私の考え方です。ですから、自分の肉体を誰かの為に使っている人は、いつも生き生きと輝いていますし、反対に、自分の心を、自分の都合に振り回されている人は、いつも暗い感じがいたします。いつか肉体が消失したとしても、まっすぐに生きた心は滅びません。未来永劫、人の心の中で生き続けるのです。
誰かの為に自分の肉体を使う事で、自分の心が鍛えられる。
そしてその鍛えられた心は、人の心に深く刻み込まれ永遠に滅ばない。
誰かのために自分の体を使うということは、現代でいう働くとかかな?
働くことで心が鍛えられる、
これは稲森和夫も影響を受けたのかも。
稲森和夫さんも「生き方」という本で、「働くことで魂は高められる」
と言っていたからです。
ただ僕は自分のために肉体を使う事も心の成長に繋がると思う。
僕が考える自分のために肉体を使うということは、
結果として人の役に立つ事をしたときだ。
この言葉のように、自分の中で完結してしまう肉体の使い方では、心は鍛えられないと思う。
これは銀魂でも同じような言葉があるね!
このシーンは伝説ですね!
私が尊敬するのはその人の能力ではなく、生き方であって、知識ではなく、行動なんです。
あなたは人を何で判断していますか?
学力だけで判断することはありませんか?
仕事が出来る出来ないで判断していませんか?
僕は正直判断してしまうことがある。「仕事が出来るか、出来ないか」・「勉強が出来るか、出来ないか」で。
この言葉から松陰先生が伝えたい事。それは人を判断する時、その人の過去ではなく、今その人が何を出来るかで判断しようということが伝えたいのだと思う。
能力や知識で判断するのは、表面上な見方だ。それに対し、人の生き方や行動を見極めるのって難しい。すごく深い所を見なきゃ分からないから。
法を破ったら、罪を償えますが、自分の美学を破ってしまったらいったい誰に向かって償えますか?
松陰先生は、美学という言葉をよく使う。松陰先生は何よりこの美学を大切にしていた。黒船に乗り込んだ時、暗殺計画を暴露した時も、これをしたら死罪になることは目に見えてわかっていた。しかし、やらないという行為は自分の美学に背くことになる。
だからやったのだと思う。
傍から見たら「狂気の男」と思う。だが僕はそうは思わない。自分の美学のために命を懸けるという行為は狂気というより本当にかっこいいから。
また被るが銀魂でも同じような言葉がある。
僕はこの「美しく生きる」という言葉が好きだ。机に書いているほどにね。
美しく生きるってどういう意味?人それぞれ解釈はあると思います。
僕はこの言葉は、
人として正しいことをしい道を選びなさい。そしてその中で、周りに流されず自分のやりたいことをやりなされ
と解釈している。
僕にとってどこか「背筋が伸びる」言葉なんですよね。
松陰先生の言葉が150年以上たった今でも、
自分たちにこのように刺激を与え、感動を与え、焦りを与えてくれる。
それは松陰先生が、
上記にあるように自分の肉体を誰かの為に使っていたからだと思います。
松陰先生の存在はあまりにも遠いですが、
先生の思いを少しでも受け止め今日も頑張ろっと!!」
それではまた明日(^^♪