フランクゲーリーから学ぶ!!!アイデアの生み出し方を考えてみた
こんにちは!
ブログ書いてて思ったこと正直に言っていい?
というか言わせてもらおう!
「ネ、ネタがなさすぎる・・・」
ブログを書くぜ!ワクワク・・・と息巻いてましたが、少し疲れた(笑)
ブログをやると決めた以上やらなければいけないんですが、どうしてもアイデアが浮かばないっす。
プロのブロガーさん。ほんと尊敬します!!!
だからそのアイデア僕に分けてください!500円あげるから(笑)
と言っても僕にブロガーさんが「あなたの頼みなら喜んで!アイデアどうぞ!」となるわけもなく、何も始まりません。
だからアイデアを自分でも産み出せるように、
この人から学ぼうと思います。
フランクゲーリー
今回の内容は、アイデアの生み出し方について考えていきます。ブログだけでなく、アイデアに自信がない人、アイデアを生み出せるようになりたい人。
役に立てはしないでしょう。
しかし、共に頑張りましょう!!!
という事で・・・
ジャガジャジャーン
フランクゲーリーから学ぶ!!!アイデアの生み出し方を考えてみた
①フランクゲーリーって誰?
アメリカを代表する建築家です。
まずは作品を見てください。
【ウォルト・ディズニー・コンサートホール】
【シアトルエクスペリエンス・ミュージック・エクスペリエンス】
【プラハ・ナショナルネーデルランデン・ビル】
「何だこの建物は!?」となったのではないでしょうか?
僕も思いました。これが建物なのか?CGじゃん!!
彼の作品はこう言われるそうです。
建築家にして芸術家
彼は普通の住宅の作り方とは異なる作り方をします。
大抵の住宅は直線で出来ていますが、フランクゲーリーは曲線を用います。画像を見てもらえればそれが顕著に分かることでしょう。
また、一般的に使わない様々な素材を使う事で他住宅と差別化に繋がっています。
どこからこんなアイデアは生まれてくるんだろう?
才能?
環境?
趣味?
何なのだろう?
ゲーリーの人生を深く探ってみましょう。
②フランク・ゲーリーの人生
1929年カナダ・トロントで誕生。
1947年ロサンゼルスへ移住。
この頃は家具を配達するトラックの運転手。
配達する中で陶器に魅せられる。
そして陶器を学ぶ。
たまたま陶器の先生の自宅を訪問する。
自宅の美しさに魅入る。次の日陶芸の先生から「君は建築家になるべきだ」と言われる。
そして南カリフォルニア大学、夜間コースへ進学する。
そしてハーバード大学へ進学し、在学中に結婚、中退。中退の理由としては、思っていたものと違ったからだ。
1961年パリへ移り住み、1年間建築を学ぶ。
1963年アメリカで独立する。
しかし、安価な物を求める顧客と意見が折り合わず、成功には恵まれない。
世間の注目を浴びたのは、自宅のイノベーション。
そこから仕事が増え、
今に至るわけです。
ゲーリー曰く、感性の源泉は?
20代の頃のバー。
「この時代はアーティストがバーに集まって抽象的な表現の話をしていた」
「僕もその一人だった。その中で受けた刺激は大きかった」
ゲーリーの逸話
中学生の時。ゲーリーは水を作りたかった。だから酸素発生器、水素発生器を用いて作ろうと試みた。結果は大失敗。壁じゅうに実験で使ったガラスの破片が突き刺さるという大事故。近所の人もあまりの音の大きさに驚き、家を訪ねたそうだ(笑)
水を作ろう、という発想がすごい。
すごいけど死ななくてよかった(笑)
③僕の考えるゲーリーのアイデアの作り方
ゲーリーを調べる中で気付いたことです。
彼は何よりも好奇心が旺盛。
「建築家よりも芸術家といる方が、インスピレーションを刺激されて面白い」と言うほどでしたから。様々な業種と繋がりを持っていました。
僕はそれがゲーリーのアイデア力を育てた理由だと思う。やりたい事に積極的に挑戦して、失敗を繰り返す。
陶芸もいい例。
建築とは関係のない遠回りをしているようだが、実はそれは今のゲーリーの骨組みを形成したのかもしれない。
結論:フランクゲーリーのアイデアの生み出し方
ジャンルを絞らず、様々な文化、人、職種と積極的に関わる
今日はここまでです!
書いていてすごく楽しかった!ゲーリー先生について興味が物凄く湧いてきたので、そのうちまた投稿します投稿しますね^ ^
それではまた明日!!