20世紀が生んだ天才!!ザハ・ハディドから学ぶアイデアの生み出し方
こんにちは!
今日が何の日か知ってる?
もちろん知ってるよね?
「え?むしろ知らないの?」
今日は何を隠そう僕のブログが半月達成した日です!
「わーわー」
「ヒューヒュー」
「イエーイ、イエーイ」
みんなの歓声が聞こえてくるよ・・・ありがとう!!!
すいません。茶番はもう終わります(笑)
でもブログを続けるって本当に難しいんだよ?
本を紹介すればいいじゃん!
好きな人を紹介すればいいじゃん!
時事ネタを拾って書けばいいじゃん!
とあなたは言うかもしれない。
そこで一言。「甘ーーーい!!!!!!!」
「ふぅ、ばあちゃんの肉じゃがより甘いぜ」
まず本!!
過去読んで面白かった本なら僕にだってたくさんあります!
出来るなら紹介したい。でも本の紹介はくそ難しい。
まず過去読んだ本を再読しなければ、良かったポイントを伝えることは出来ない。
あなたが感動した本ありますよね?
それのどこが面白く、楽しく、感動した明確に教えてください。
もちろんネタバレなしでね。
できました?
次好きな人!!
僕も好きな人結構書きましたが大変なのよ!
好きな人を伝えようとしたらこの3つがいる。
①その人の歴史
②その人の魅力
③その人の言葉
好きな人がいつ生まれて、いつ頃が苦しくて、いつそれを乗り越えたか
具体的に言える?
僕がこれから伝えたいのは、僕のしょぼい記事でもものすごーく時間がかかっているってこと。
最後時事ネタ!!
時事ネタは知識がないと書けない。
そしてもちろんその知識はない。正直に言えば、僕も「トランプ大統領」
のことや「オリンピック会場問題」についても書きたい!
でも政治のことは分からない。嘘を書いてしまうくらいなら
「もう書かなくていいや~」となるわけですよ。
はっ愚痴を言ってしまった・・・いや、これは愚痴じゃない!!
「ブログをやって言う人の心を代弁しただけ!!」
今日も昨日に引き続きアイデアの考え方を偉人に学ぼうと思います。
今日はこの方!
何か見たことある!となる人もいると思います。
なぜならオリンピックの国立競技場のコンペで優勝した人なんです。
しかし残念ながらも資金面で折り合いをつけられず、
建てられることのなかったということで一時期大変話題になりました。
もともと国立競技場はどんなものが建てられるか知っていますか?
どんなデザイン?
こちらです!
「え?宇宙船飛来?!」
違います。建物です。
これがもともと建てられる予定であった国立競技場です。
正直に言えば、僕は国立競技場は建ててもよかったんじゃないのか?と思います。
デザインがすごいですよね・・・
どうしたらこんなデザインが思いつくんだろう?
環境?教育?考え方?
ということで今日の内容は・・・
ザハ・ハディドから学ぶアイデアの生み出し方!!!
①人生年表
1950年:バグダッドに生まれる
1972年:渡英し、建築の専門学校(ロンドンAAスクール)へ入学
1977年:ロンドンAAスクール
1977年:当時講師であったレム・コールハースの主催するOMA0で1年働く
1980年:独立する
1983年:香港「ザ・ピーク」でコンペ優勝。しかしあまりのデザインに
計画は断念
1993年:ドイツ・ヴィトラ社消防署が建設される
1993年以降:彼女の建築が実現可能ということで、続々と依頼が来るようになる
2004年:建築界のノーベル賞と言われる「プリツカー賞」を女性で初受賞
【オードラップゴー美術館 】
【ノルドパーク・ケーブル駅】
【リバーサイド・ミュージアム】
この年表で注目してほしいのは、
1980年に独立してから、1993年まで仕事がなかったという点だ。
独立して13年建築物を立てていないんです。
これだけのデザインが出来るザハ・ハディドがですよ?
なぜか?
自分の仕事に妥協をしなかったからです。
自分が本当に作りたいものが技術的にも、一般的にも認められない。
それでも「普通」というものに、妥協をせず諦めずコンペで勝負をし続ける。
ザハ・ハディドの強みはここにあると思います。
彼女が残した言葉でこういうものがあります。
「私は妥協という言葉は好きじゃないの」
みんなは自分はこう思うけど、「普通は~」「みんながやっているから~」
とか言って流されたりしてない?
僕は結構流されちゃうんだけど・・・(笑)
もしそんな経験があったなら、本当にそれが正しいかもう一度疑ってみてはどうだろう?
アイデアの源
さてこれ程までに、優れたデザインを設計できるのはなぜだろう?
本、コメント、ネットを調べて考えてみた。
調べた結果
家庭環境だと推測します。
根拠を書きます。
家庭が教育熱心。教育理念として、「自分のやりたいことは、なんであろうと追及していく」というものがあった。
中でも父は一生を懸けて民衆のイラクに対する見方を変え、その独立に役立とうとしていた。
イラクに対する見方を変えるというのは、イラクにインターナショナリズムを持たせ、教養と知識を持たせるというものだ。
もちろんその環境で育ったザハもその考えを持つようになる。
幼い頃から、グローバルな視点を持ち、教養と知識の大切さに気付いていたわけです。
1950年代のバグダットといえば、当時は世界有数の世界都市。人々はスーツを着て街を歩き、車がブインブイン。
そんな多様性がある時代にこの父。
ザハ自身も様々な文化や人々との交流は多かったことでしょう。
実際に様々な遺跡、進歩的な学校で刺激を受けたとザハ自身も語っています。
多様な文化、多様な人種、多様な芸術
これらは昨日も出ましたね。
感性を磨くためには、未知のものとの触れ合いが必要不可欠なのかもしれない。
この感性を磨くために僕が出来ることは何だろう?
芸術鑑賞なんかやっぱり生ぬるいのかもしれない。
もし良い考えがあれば教えてください!
一緒にやりましょう!!!
ということで、また明日!^^